リスキリングを追いかけて「使い捨て人材」にならないように、知っておくべきこと《前編》【大竹稽】
〜デジタルは「ないと困る」思考の「知識だけ」人間を製造し使役する〜
◾️今すぐ「役に立つ知識」は本当に窮地を救うのか?
『姥捨山』という昔話を読んだことがあるでしょう。
長野に伝わる民話とも言われていますが、『大和物語』や『日本霊異記』にも類例があります。あなたが読んだストーリには、きっと「智慧」によって国を救われるシーンがあったでしょう。もともと日本に伝来する前から仏教には「棄老国縁」という説話がありまして、こちらには智慧で国を救う老婆が登場します。これが姥捨山伝承のオリジナルになっているという研究もあります。
どうしようもなく根づいてしまった貧しさゆえに、口減らしというルールが続いていた地方もあったでしょう。「口減らし」は、なにもおじいさんおばあさんに限ったことではありません。ただこの物語で山に棄てられるのは老人たち。
主人公の母は、その土地のルール、侵し難い習慣によって山へ棄てられることになります。しかし、息子は無性に悲しく、母を家に連れ帰ってしまいます。しばらくすると国がピンチになります。隣国からの無理難題。国のその窮地を救ったのが、おばあさんの智恵でした。
「灰で縄を作る」
「曲がりくねった竹に糸を通す」
「打たずになる太鼓を作る」
さて、役に立つ知識では、この難題は到底解けないでしょう。「灰の縄」なんて役立たず。曲がりくねった竹も役に立ちません。あ、でも打たずになる太鼓は面白そうですが、でもやっぱり叩かないと太鼓にはなりませんよね。
智恵なるものは大抵、役に立つ立たないを超えたところに生まれるのです。知識は「ないと困る」ものですが、知恵は「なくてもなんとかなる」のです。ですから、隣国からの脅しがなければ、おばあさんの智慧は全く意味のないものになるでしょう。しかし、もしその国が、「役に立つ知識」だけの人間が構成していたら、確実に滅んでいたことでしょう。
この説話をモチーフにした深沢七郎の『楢山節考』は、日本全国を大きな感動で包み込みました。